将棋は教えちゃいけないんだな 今さらですが
毎週日曜日、自身が主宰する将棋クラブで、来てくれる子供たち、未就学児から小学校低学年の子らと将棋を指す。これで8年か9年。
普段は高齢者医療に従事する自身にとっては、週末だけは若く瑞々しい感性に接することで、エネルギーを補給しているような意味があると感じている。
たくさんの子供が来てくれる中で、年に1-2人、突出した才能に出会う。
そんな子は当方が教えたか否かなど全く関係なく、一足飛びに僕を追い越して強くなっていく。
若い才能の開花。その驚きもまた愉しみのひとつ。
一方で、一所懸命に「こうだからこうだよね?」「数で負けてるとこに突っ込んじゃだめだよね?」と道理を伝えても、一向に伝わらない子もいる。
最近、これは子供の方が悪いんじゃなくて、教えるという行為が間違ってるんだろうなと改めて気づいた。
特に将棋はそもそもがゲームなので、楽しくてなんぼ。
気づきや閃きで相手の王様を詰ませることができた! 時の喜びを求めているゲームなのであって、そこから始まるからこそ、その過程も考えるようになる。
要は最初にドーパミンを出して貰わなくちゃいけないんだよな。
四間飛車美濃囲いの駒組みじゃなくて。
というわけで今後は、定石や道理を教えるのはよそうと思う。
わいわいがやがやみんなで盛り上がっている卓もあって、昔はそれを注意してたけれども、最近は周囲に迷惑でない限りは追認している。
がやがや卓は、時々のぞくと変則ルールでなんかやってるけれども、みんな楽しそう。
あれでいい。というよりも、あれがいいのかも。